startok’s diary

好奇心から真実へ

何処か物悲しさを感じたニューヨーク

10年ほど前ニューヨークに半年ほど滞在しました。

大して、アメリカに思い入れもなく降り立った、マンハッタン。

まあ、汚いです。高層ビルが林立し、道は両サイドビルに圧倒され空がない印象。

そしてニューヨークが好きではない日本人が持つニューヨークの印象の多くはこれ。

話をしていて、”ニューヨークの何がええの?”と鼻で笑われても、ええ、わかりますよ、あなたの言ってることはと。

 

ニューヨーカーはペルソナ?

秋になれば、リンカーンセンターで、オペラやバレイクラシックコンサートが連日のように繰り広げられる。そこには着飾った大人たちがロビーにひしめき合っている。

時に、”あなたのドレス素敵”と声をかけてくれる人がいたり、急に声をかけられてびっくりしながらも、悪い気はしない。

しかし、気のせいだろうか?

 

一流大学卒のエリートと話をしていた時だった。クラシック音楽が好きだと言っていたが、実は、一泊もあれば行くことができる有名な音楽祭の存在すら知らなかったのだ。

ブルジョアやエリートの趣味を規制しているようにみえるのは私の歪んだ偏見故?

 

オフブロードウェイでのこと。人気のあるコメディミュージカルがあった。ブロードウェイとは異なり、小さな劇場。

会場は大盛り上がり。しかし、それは、舞台袖にあるスクリーンに映し出されるサインに従ってのこと。”拍手””笑って”の合図が入る。観客も舞台を盛り上げる義務があるかの如く。舞台もつまらなかった。何が面白いのか皆目わからなかった。

楽しまないといけない縁起でもしているかのように見えた。これも偏見か?

 

自然なニューヨーカー

バレイ週刊というのがあって、一律低価格でモダンバレイを観劇した。そこは、リンカーンセンターのような大きく華やかな劇場ではなかった。客層は様々、ジャンバーで感染する人たちもいた。舞台は素晴らしかった。観客も心底感動している風だった。

 

ウォールストリート

ニューヨークの象徴であるウォールストリート。エリートが集まる場所とあって、どんな人が出入りしているのか、ニューヨーク証券取引所の前で観察していたことがあった。また、滞在中、近くの学校に通っていたので、スターバックスで出会う人の何人かはトレーダ―に違いないと思っている。

そこに勤めていたことのある日本人と話をした。

彼ら彼女らは、業績の下何割かは毎月首になるんだと言っていた。手はいつも電話とキーボードに拘束され、両手でキーボードをたたいたことがないとも言っていた。デートどころではなく、一時、日本人は働き過ぎと言われていたが、この人たちもいい勝負だった。華やかな世界などはなく、御尻に火がつき戦々恐々の毎日だったとか。

 

社内恋愛禁止

社内恋愛が禁止というより、同僚に告白すると訴えられるリスクが伴うため、彼らは、パートナーをネットで見つけるんだと言っていた。

何もかも自由を謳歌していると思っていたニューヨーク。恋愛もままならないとか。

知り合いの日本女性は、此のネットで彼氏を見つけているという。前述した、ウォール街の成功者。そのパートナーも、プレッシャーから逃れるため、アジア諸国への出向を画策しているといっていた。

ニューヨーカーの悲哀

アメリカンドリームは遥か昔のこと。学費ローンに苦しめられ、偽装結婚で戸籍をかし、ローン返済の助けにする、優秀な英語学校の先生もいた。

 

元気にふるまうニューヨーカー。それが彼の本当の姿かと思いきや、ふと見せる涙でうるんだ瞳。ニューヨークの物悲しさを感じた。

 

今、ニューヨークを思い返すとき思い返すのは、祭りで盛り上がる夏ではなく、物悲しい秋のセントラルパーク。

ニューヨーカですらこうなのだ。

いつか、ニューヨーカーが、日本人が世界中の人々が、それぞれの幸せを見つける日が来ることを願う。